19歳警官の件に関して

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これなんですが、まぁ賛否両論でした。
アメリカと日本は違う!等と的外れな意見を述べている人や、隙あらば自分語りマンもいましたがそれは置いといて。
撃った警官が悪い派と罵倒した教育係側が悪い派に分かれてました。
私は現時点では、罵倒した教育係側は撃たれても仕方がなかったと考えています。
相手がこちらをいつでもすぐに殺せる状態で罵倒とか、正気かよと思いました。高圧的な態度に出ることすら「ありえない」。この教育係さんは警官という立場でありながら平和ボケしてた訳ですね。日本にいたらしょうがないと言えるのかもしれませんが。
罵倒ではなくただ叱っていただけだとしても、銃を携帯してる人を相手にするならまず信頼関係を築くことが重要でしょう。撃たれるリスクは遥かに下がります。
対策としては2つあって、対症療法的なものとして
1.新人には拳銃を持たせないようにする。採用システムに穴があったのは間違いないですが、どこから埋めていいのかすらわからない状況ですからね。
2.教育マニュアルの見直し。教育者側の意識を変えさせないといけないですからね。
愚かにも対策をとらないということも、日本警察ならあり得るのが恐ろしいところです。

私の過去

を書きます。自己分析の一貫です。大分長い
。3歳上のテキトーに生きてるおねいちゃんがいます。
■西暦199○年 爆誕
■幼稚園児(年少) 周りが曲に合わせて踊っているのを、それに何の意味があるのかわからなくて、突っ立っていた。この時、障害の診断を保育士に勧められたようだが母親はそれを華麗にスルー。まぁ、幸せの絶頂期だったのだろう。
あと、体に泥がつくのが嫌で泥遊びはしなかったし、裸にもならなかったのを覚えている。木登りと白い花の蜜は好きだった。
周りが曲に合わせて踊る意味がわからなかったのは、恐らくそのようなテレビ番組を見ていなかったからだと考えられる。流石に、当時見ていたテレビ番組はわからないし、今更なので後で親に軽く聞く程度に留める。
■幼稚園児(年長) 左足を自転車の後輪に巻き込まれ全治一ヶ月の重傷?。白いものが見えていたが、恐らく皮下脂肪である。年少組を寝かしつけるために、布団の上から「トントン」と叩く時間が好きだった。
■幼稚園児の頃、集団でやる遊びをやった覚えがない。やったことがあるのかもしれないが、強烈な記憶としては残っていない。
■小学1年生 覚えたてのリコーダーを披露しに、帰りに幼稚園に寄る日々が続くが、梅雨の時期、雨の日が連続しめんどくさくなり以降は消滅。
■小学3年生くらい 小便のために目覚めたとき、親が怒鳴りあっているのを目撃する。
■小学5年生 親が別居、週に1回母親の元へ通う日々。この頃はお姉ちゃん子&おじいちゃん子だった。お姉ちゃんの下校には時間が合えば必ずお供していた。お姉ちゃんが馬鹿にされたことで怒り、喧嘩をするほど。
■小学6年生 校区が変わらない程度に転居。オナニーを覚えた。学校にいきたくなくなった(眠くて)。それでも引っ張って行かされた。いい母親である。
卒業式の日に、女の子に体臭が臭いと言われているのを聞いてしまう。以降朝風呂派に。(もっとはやく言えよ...)
親が離婚、選択を迫られたが、安定択を取り母親の元へ。
後から考えてもこれは悪い選択ではなかったように感じる。
何故なら父はおちん○んがある限り種を蒔けるから、必要とあらば(相手がいれば)作ればいい。
同じ男だからわかるが、子供に情が湧くことはあっても愛着はあまりないだろう。生物としてそういう風にできているように思う。
しかし、母は子供がいなければ母足り得ない。子供を取られた母が次にどのような行動をするのかわからない。少なくとも私はそう思う。
■小学生の頃の私は勉強が出来ていたようだ。学校で成績1位を争っていたらしい。その頃母親に宿題をなぜやるのか聞かれたことがあるが、「やらないといけないから」と答えたのを覚えている。恐らく周りがやっているからやらないといけないと思っていたのだろうが、思っているより周りはやってなかったと思うよ。家にはwin95のPCがあったが商人物語(放置ゲー)を姉に教えてもらいながらやっていた。女の子の幼馴染みが2人いて家族ぐるみの付き合いもありよく遊んでいた。その幼馴染みとは中学で疎遠になった。
思えば、この頃からグループワークは不得意だった。
■中学2年生 この頃、恐らく第2のお父さんが出来た。
■中学3年生 初恋のようなものをするが、告白せずに終わった。
■中学から勉強しなくなった。宿題があまりなく自主的な勉強が求められたが、自主性はなかった。塾にもいったが、結局は自主性が求められるのだ。自己管理法を教えて頂きたかったものである。普通の中学生ならこの頃には身に付いているものなのか?あと、ネットゲームにハマってしまった。今も続いている唯一無二の友達が出来た。部活には入らなかった。
■高校1年生 第2のお父さんを紹介されたのは確かこのくらい。私が人生で最も感謝を捧げ、最も罪悪感を感じている人物である。何故なら、中学時代の生活に安定をもたらしてくれていたのは明らかにこの人であるし、またこの人には実子がいないからである。いや、精確には我が母との間に「いた」のだが...。年齢も年齢だったし仕方ないと言えば仕方ないのだが、この時の母は離婚したときよりも辛そうだったのを覚えている。(隠していただけかもしれないが)
罪悪感は私の考えであるが、第2の父ほどの徳を持つ人がその血を後世に残せないというのは非常にもったいないことで、母と結婚したことによってそれはほぼ間違いないからだ。もったいないことをすることに罪悪感を感じるのは日本人なら普通じゃないだろうか?もちろん、第2の父が現状に満足している場合これは余計なお世話となる。私に彼女がいたら、今すぐ第2の父の子を孕ませたいくらいにこの感情はある。
■高校は、偏差値40くらいの公立高校に進学した。滑り止めとして45くらいの私立も受けて合格したが、50未満なんて全部同じようなものだろう。金銭事情から私立には個人的な思いで行けなかったし、中学の時大して勉強もしていなかったので55くらいの公立を受けるのはリスキーすぎた。よって、この時の判断は正しいと言える。
しかし、この高校時代が肉体的に最も辛かった。この高校は30度くらいの坂に反りたつようにして在るのだ。駅から20分間自転車を漕ぎ続け、最後に急斜面。インドアを徹底してきた私には一番の試練で、これを3年間続けたというのは私の人生において最も誇れることであると確信している。部活は得意というほどでもなかったがとりあえず泳げるので水泳部に入った。真面目な部活ではなかったのでちょろかった。大学受験のために塾にもいったが、この時未だ自主性は身に付いていないのである。100万ほどかけてくれたようだが、ほぼ無意味。ビデオ授業だったので後半はほぼ全編寝ていた。
■大学2年生 おじいちゃんが亡くなった。思っていたよりショックは感じなかった。予め死にそうな所を見ていたからだろうか。それか、元気な時を見たのが数年前だからか。
■大学は勉強せずに入れそうなところに入った。お金のかからない国公立がよかったが、ハードルを認識したときには遅すぎた。大学では特筆すべきことはない。大学で出来た友達がガチのマジで0人なことくらいか。あまり勉強しなかったので留年して、今に至る。

最近の悩み

左耳は低音の耳鳴り、右耳は高音の耳鳴りが続いて寝られない
恐らく自律神経の乱れだろうが・・・
自律神経の乱れで自律神経を更に乱してどうする雑魚が。
情緒が安定しない。急に不安になったり急に空虚になったりする。
更年期障害みたいだな、私もおばさんか~笑
過去最大級に精神が追い詰められてる気がする。
いつも逃げていたが、今回は逃げ場がない。
就活、卒論どちらも私という人間には早すぎる・・・。

解答

A.
買い出しの手伝いもしていないのに、花見に参加するのは申し訳ない。また、買い出しの手伝いをしなかったことによって発生するであろう、周囲の冷ややかな目を受けながら居続けるのは耐えられない。


です。2つの理由のうち1つ合っていればひとまず正解です。さて、正答者はいるでしょうか?

上の2つは、その時は確かにそういう理由をつけて逃げました。
しかし、今、冷静になって分析してみると、これらは自分を納得させるために考えた理由としか考えられない。
本当の解は

A.居続けても楽しくないだろうな、と判断したから。

だと思うのです。
正直に言うと、私はこの花見に参加したくありませんでした。しかし、強制参加だったのです。
そんな中で逃げ出すチャンスが来たら、当然逃げます。逃げない選択が出来たらコミュ障ではありません。コミュニケーション自体から逃げる、故にコミュ障なのです。
30秒の謎の硬直時間だって、連絡手段がないことをいいことに、逃走可能な状態を作り出すためにした無意識の行動、ということすらあり得ると考えています。


私は自分のことを、他人の気持ちを慮ることができる、他人の痛みがわかる優しい人間だと思っていました。
しかし、それらは全て自己中心的な考えのもとにあるのかもしれません。

コミュ障心理学クイズ

私は先日研究室単位で花見に行きました。
もちろん、その中に友達はいません。
つまみや酒代金のカンパを集め終わった後、誰が何処に行くか(ピザ屋やスーパー等)を決めました。
私と他2人はスーパーにいく係になりました。
その後、ピザの受け取り時間やらで待ち時間が発生しました。(今思うと何故スーパー係はすぐに行かなかったのか?)
ここで問題が発生します。
待ち時間、私は暇なのでスマホを弄っていて、少し休憩するために顔を上げると、
それを待っていたのかスーパー係の二人が席を立ち、研究室の扉を開け出て行ってしまいました。30秒の間思考し、2人についていかなければならない、と確信した私は2人を追って研究室を出ました。
しかし、時すでに遅し。2人の姿はありませんでした。
私は待つべきか、帰るべきか暫しの間迷いました。
迷った結果、私は帰宅することにしました。

Q.何故私は帰宅を選んだのか、その心情を述べよ。

軽く自己紹介

■IDの由来
ブラック・ブレットの延珠たそがすこだから
■20代
■生物学上は男
■○○工業大学 在籍
■大学ぼっち飯皆勤賞(暫定)
■バイト歴 なし
■やりたいこと 特になし
■やりたかったこと 小中学生に勉強を教える(下心なし)
■やるべきこと 卒論
■やったことあるゲーム
fgo パズドラ グラブル アズレン DQR シャドバ 天華
スクスト アナデン DTB 天鳳 天極牌
■性癖 ロリ(二次三次)、男の娘(二次)
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■好きななろう小説
転生したらドラゴンの卵だった
転生したら剣でした
異世界迷宮の最深部を目指そう
その無限の先へ
北の砦にて
妹が痔になったので座薬を入れてやった件
せっかくチートを貰って異世界に転移したんだから、好きなように生きてみたい
■ブログを書く目的
コミュ障すぎて他の人から見ると面白いと思われるんじゃないか、と思ったから。
■ブログの名前の意味
ある偉人の名前と大学ぼっちをかけさせて頂いた。

■現在の状態 大学ぼっち